のおとのノート

若者の”勇気ある一歩”を見まもる「のおと」主宰者のそこはかとない書き散らかしです。

橘家

2013年8月号

今月の学校通信用の文章です。・・・・・長い(笑)
以前書いた文章を再構成したものです。
メモで残す用。クッソつまんないから読まなくていいよ。

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インターネット上の交流サービス、
いわゆるSNSソーシャルネットワークサービス)と呼ばれているもの。
TwitterFacebookMixi、LINEなどがそれに当たります。
これらサービスを通じて膨大な量の情報が、広大なネット上を飛び交うのが日常となっています。
 
私は新しもの好きなので、各SNSは比較的初期の段階から利用しています。
海外など遠く離れた友人や音信不通だった知人と気軽にやり取りしたり、
趣味の仲間との面白い出会いや活動に繋がるなど多くのメリットが有りました。
 
これらサービスは世間に広まるにつれトラブルも増加します。
そこで重要になってくるのはSNS利用におけるリテラシー
(正しく利用できる知識と能力)を高めることだと思うのです。
 
SNSで若者が不用意な発言や非常識な行動を撮影した画像を公開し、
問題になった事例が多数あるのをご存知でしょうか。
最近では、
コンビニエンスストアで商品が入ったままの冷凍ケースで寝転んでいる姿を撮影した画像が出まわり
問題になりました。同様の出来事も後を絶ちません。
 
昨今はパソコンよりもスマートフォンからSNSを利用する人の割合が急速に増加しているそうです。
スマートフォンなど携帯端末は、
利用者にパソコン以上に広大なネットの世界を矮小化・パーソナル化したと錯覚させ、
ついでに万能感を得たような気分にさせてしまうという側面があります。
それは、「誰も見ていないから」と気が大きくなって、非常識な情報を発信してしまいやすくなる
と言い換えることが出来るのではないでしょうか。
 
自分の部屋や休み時間の教室での何気ない小さなつぶやきが、
意図せずとも直接相手に突き刺ささる凶器になったり、
天下の往来に響き渡る大声になってしまう。
 
また、不道徳な姿を撮影した画像を日本中の多くの人に見られてしまったり、
個人情報を調べられ精神的苦痛を受けることもあります。
軽率な行為が多くを失う結果となるのは、もはや珍しい事ではなくなりました。
 
また、通常現実世界では黙殺されるような”よろしくない考え”がネット上の情報発信でカタチになり、
ネット上の度を超えたいじめ・差別や卑怯なリンチ的な行為に繋がることがあります。
 
「よからぬもの=汚いもの」の強い力がネット世界の即時性・拡散性で勢いを増し、
更に見るものそれぞれのストレスや誰もが持っている心の薄暗い部分とリンクし
多くの人の心を熱狂的に支配してしまう。
 
得体の知らない多数の何者かが、ある日突然見るに耐えない言葉を投げかけてくる・・・
便利さの裏返しにあるそのようなリスクを充分に意識する必要があるのです。
 
残念ながら、SNSはまっとうに生きていたら見聞きせずに済んでいたものに触れる機会を爆発的に増やしました。
大人にも影響があるのだから、子供とっては言うまでもありません。
経験の分母が少ないのだから1つの経験がより大きな影響力を持ちます。
 
”汚いモノ”の力は強い。
 
それに対抗するには目を塞ぐ事よりリテラシーを高める方が得策ではないかと私は思います。
 
生徒のみなさんに伝えたいことは
 
キミの持っている「ちいさな端末」は便利だけれど、
自分の頭のなかが広く人目に触れてしまったり、
自分や他人を苦しめる可能性がある危険な道具でもある。
 
ということです。
 
大人がすべきは、規制・排除に注力し無菌状態にする事ではなく、
「泥の中からまっとうなものだけ拾い集める事ができる力」
を付けるための機会を様々な方法で提供することだと思います。
 
そして薄っぺらな正義や思想を持ったものが薄っぺらな悪意で気軽に他者を攻撃する、
からかうと言った行為を断じて許されないことであり、
悪意に悪意を以って迎え撃ってはいけない、ということをまず大人が実践することだと思います。
 
子どもたちには「誰も見ていなくてもまっとうな行動をする」ことと、
「やっていいことと悪いことは何か」を根気強く伝えること。
これはSNSの知識が豊富でなくても出来ることです。
 
クルマやバイク同様「便利で楽しいものだが
使用者のモラル次第で凶器にもなる」
 
それがSNSひいてはインターネットというものの本質なのではないでしょうか。