のおとのノート

若者の”勇気ある一歩”を見まもる「のおと」主宰者のそこはかとない書き散らかしです。

橘家

太陽のようなケア

簡単に若者を「ゆとり」とかバカにするけどね、

子どもたちの一部は本当に大人にケアされてないんです。

 

親でも教員でも、大人は子どもたちに

人を見下して優越感に浸ったり、

責任を他人に押し付けたり、

他人を攻撃したり、

負の感情に支配されるという

悪い見本は見せまくります。

くだらない価値基準を押し付けたりもね。

 

だけど、

本気で人と向き合うとか、

真剣な人を尊重するとか

人間が根本的に大切にすることは何かを教えるとか、

良い見本を見せることは少ないと感じます。

学ぶこともその延長上にあると思うんですよね。

 

若者を

「こんなことも分からないのか?」

と貶すのではなく、

 

「こんな事もわからないほど大人に放置されていたのか!」

と周りの大人に怒りを感じるべき。

 

そして、

大人なら縁あって出会ったその若者に

出来る限りのケアをするべきです。

 

すべての子供はすべての大人が育てる。

 

そういう考え方が地域の連帯感の消失で、

どんどん消えていることに危機感を感じてしまいます。

 

 

いつだったか、子供の居ない40代の自称漫画家が

着陸準備中の機内で幼児が泣き止まぬことに腹をたて、

騒ぎ、席を離れ「降りる」と

出口へ向かうパフォーマンスをした挙句、

長時間に渡りクレームをつけ続け、

それを文章で世の中に出し波紋を呼んだことがありました。

 

情けない。大人失格です。

きっとこの女はガラの悪い強そうな人が騒いでいたら

このような行動はしないでしょう。

相手の立場や状況を判断し、

弱いものにクレームをつけたのでしょう。

したり顔が目に浮かぶようで胸クソ悪いです。

本当に胸クソ悪いよ。

 

いくつになっても体質の問題で飛行機が苦手な人もいます。

ましてや子供にはつらいものであることは容易に想像できます。

子供に薬を飲ませて黙らそうと考えるなんて、

まともな人間が文章にして世に出すようなものじゃない。

ゾッとします。

 

人は多かれ少なかれ

迷惑かけたりかけられたりしながら生きていくもので、

それこそが社会というものだと思うのです。

 

言い換えれば

被害者⇔加害者と立場を変えながら

生きていかねばならないということです。

付け加えれば傍観者は加害者と同じ。

 

「お互い様」の精神で生きていくのが大人でしょう。

いくらお金を払っていても、

自分の快適さが常に100%実現するべき、なんて考えるのは

とてつもない思い上がりだと思います。

業=「ごう」ですね、カルマ。

彼女の業はどう判断されるのでしょう。

次回は人間には転生しないほうがいいような気がします。

 

誰かに親切にしたら、別の誰かに親切にされる。

まわりまわって自分の行いが自分に跳ね返ってくる。

目先の損得や自分の感情で行動するのではなく、

「世の中お互い様だから」

とゆったり構えていたほうがいいと思うんですよ。

 

自分は騒音がものすごく苦手なので、

耳栓は常に携帯しています。

そして基本的に幼児は泣くものだと思っているので

腹は立てないと決めています。

 

この自称漫画家のような大人の存在は

社会をギスギスしたものにする害悪だと思います。

 

知恵を次世代につなぎ、若者の活躍をサポートする。

ガキをケアしない大人は大人を名乗ってはいけないと思うなぁ。

 

子供の居ない40代の自分ですが、

大人としての責任は

キッチリ果たしたいといつも思っています。

 

タイトルは最近復帰したあの人のことではありません。