のおとのノート

若者の”勇気ある一歩”を見まもる「のおと」主宰者のそこはかとない書き散らかしです。

橘家

2012年7月

2012年7月 大津いじめ自殺事件を受けて
中川翔子さんのコメント

「学校だけが世界の全てではない」を読んでの文章

 

 

 

この問題が盛んに報道された先々週くらいから考えこんで 
ただでさえ不眠なのが余計ひどくなった。 
悲しくて。周りのバカな大人達に腹が立って・・・。 
人としてではなく、立場や組織の論理で上ばかり見た言動。 
生徒の方向いて仕事しているかどうかは生徒が一番知っている。 


中川さんの文章 
「学校が世界のすべてではないのに」 
という言葉が全て。 

僕がいつも言っている 
「君がいるその場所だけが世界の全てじゃない」 
と同じだ。 

中学の教員という人たち。素晴らしい方も多いが、 
世の中と乖離してしまっている幼稚で非常識な者も多い。 

「オレの君臨しているこの場所が世界の全てだ」 
と本気で考えているとしか思えない言動をいくつも見てきた。 

「お前は社会では通用しない」とハッキリ告げたこともある。 
詳しくは書かないけど。また腹立ってくるから。 

「いじめ」は「援助交際」と同じように犯罪行為をイメージ的に薄める言葉。 
暴行・恐喝・売春・・・犯罪はきちんと表現すべきだ。 

こんなとこに文章書いてウサを晴らすだけでは何もならない。 
どんな大人にも出来ることがある。 

一時の感情か正義の使者にでもなったかのような勘違いで 
電話やネットを使って匿名で人を罵るだけの人間は許せない。 

大津市の教育委員会や、大飯町役場に電話して罵詈雑言浴びせるような人間は、
自分の歪んだ感情で人を裁くいじめの加害者と同じ類の人間だと思う。 
ネット(ここも含む)に極端なこと書いているようなのも同じ。 

起こった自体に憤り感じるのは人として自然なことだが、その憤りをどのような形で
表明したり行動に転化するかにその人の真価があると思う。 

黙って見てたり、当事者意識がなく無関心だったりするのもこれまた 
加害者と同じというのは、いじめも原発問題も同じかもしれない。 
どの立場であろうと声を上げないといけないと思うが、声の上げ方、 
どんな行動をするかが肝心だ。 

幸い自分は行動が容易な環境にある。 

様々な意味で 
「キミが居た(居る)世界だけが世界のすべてじゃない」 
ということを知ってもらうのが自分の仕事であるとあらためて決意した。 
くだらない・小さな世界から出ておいで、と。