のおとのノート

若者の”勇気ある一歩”を見まもる「のおと」主宰者のそこはかとない書き散らかしです。

橘家

2012年10月

ある非常識な行為を報じたニュースの感想の後

 

 

 

優先順位勘違いして大事なものを置き去りにした時点でただのバカ」

「人としてバランスは保って欲しいもの」

 

というようなことを書きましたが、

これって趣味だけの話ではなく、仕事においても言えるなぁと思いました。

 

「どっち向いて仕事してるんだ」というような事って

客としてだったり、同業他社、もしくは自社の上司や部下に対してでも

見聞きした経験のある人は多いのではないでしょうか。

 

教育委員会や経営者の方ばかり見て人としての判断を失った教育現場。

組織の論理のみで動きひとりの人間としての判断を完全にOFFにする職場。

 

私は、10年以上前、ある大きなトラブルに巻き込まれました。

内容は相手の大きな犯罪行為でした。

明らかに先方に非のある内容でしたが、経営者は全面的にこちらを悪者にし

事を収めました。

自分の仕事内容の根幹に関わる部分を否定されるものでしたが、

まだ修行中に近い身であったので堪えました。

 

その時、組織に所属しているという感覚は捨てました。

自分の足で立ち、自分の言動は自分で完全に責任を持って仕事に向かう

ということを鮮明に意識するようになったのです。

 

数年後、私がいた組織は給料未払いのまま消滅するのですが、

未払いから半年間、自分の判断で私は仕事を続けました。

(3月までやってはじめて「学校」と言えるからね)

その時のエピソードは山ほどあるのですがまた別の機会に。

その時の経験がその後の自分の武器であり、生きる指針になっていることは

間違いありません。

 

何のために仕事をするのか。そもそも仕事ってなんだ。

自分は何によって喜びを得るのか。

そういったものがハッキリしただけでも人生儲けものだと思っています。

 

結局、私は組織に所属している感覚が上記の一件以来消え失せたので、

仕事をする上で気持ちの負担が少なくなりました。

そして、以前よりいい仕事が出来るようになり、組織に利益をもたらす

こともできました。

結果としてある程度自由な振る舞いが容認される立場になりました。

 

今の場所でもかなり自由にやらせてもらっています。

常に意識しているのは、全ての責任を自分が背負うということです。

組織に寄りかかって生きたり、立場や肩書きを守ろうという気はさらさら

ありません。少しくらい有ったほうがいいと思うのですが・・・。

 

働き手としては決して褒められたもんじゃないのは分かっています。

それは十分理解した上で、一番自分がストレスなく社会に貢献できる方法を

模索した結果なのです。

 

そんな自分ですから、ひとりの生徒の命が消えたり脅かされたりしているのに、

組織の論理で平然と詭弁を弄するエセ教育者に激しい怒りを感じるのです。

組織人である前にひとりの人間としてどうなのか。

人間としての感情をスポイルするような組織ならそれは世の中に不必要だ。

そう思うのです。

 

結局何が言いたいのかわからない自己弁解みたいな文章になってしまいました。

すんません。