のおとのノート

若者の”勇気ある一歩”を見まもる「のおと」主宰者のそこはかとない書き散らかしです。

橘家

2013年2月

ツイッターに連投したものを貼り付けました。
 
朝鮮学校無償化問題に思う。
 
誰にでも学ぶ権利はある。
ただし「無償で」ではない。
高校生1人あたりに掛かる費用はざっと年間70万円。
人件費をかなり切り詰めて
(安月給や非正規で働く教員を増やす)
何とか回してる私立学校の何と多い事か。
介護と問題は同じだよ。
それでも好きな仕事に打ち込んでる。
正規非正規問わず手取り15万円いけば御の字の人も結構いる。
 
それだけに補助を出すには、
それ相応の資格が必要なのは言うまでもない。
正直、それなら先に病気など様々な困難と闘いながら
何とか通信制とかに通っている生徒・保護者を先に補助しろよ、
と言いたくもなるよ。
他の外国人学校と差別だ!って言うけど、
ほかの国は無断でミサイル飛ばしたり核実験しないもの。
近所の頭のおかしな乱暴者のおっさんが相手にされるか?
 
「学びたい」
という気持ちが実を結ばない子どもも沢山いる。
 
公的援助が必要と思われるが、
制度のエアポケットにはまり込んで
適切な進路選択が出来ない場合もある。
強い声や訴訟が勝って、
弱い声を後回しにする事は間違いだと思う。
 
公の定めたものに不満があれば私設の場所に行けばよい。
代わりに公的援助がなくなる、
或いは減らされるのは仕方がない。
公立学校に拒否されて仕方なくそこに行っているのではないだろう。
 
義務教育の中学までは、
その選択があまり自由ではないので多くの問題が起こる。
高校になると選択肢がようやく増える。
それでも貧困やその他問題で選択出来ない人もいるのだ。
自分で選んだものへの責任が必要だ。
 
 
僕は中学2年生のある朝の出来事を忘れない。
毎朝順番に生徒がスピーチしていくのだが、
その日は在日コリアンの生徒の番だった。
 
彼はこう言った。
「僕は小学校の時、
差別みたいなことをよく言われていました。
悲しかったです。
でも、この学校に入学して、
今日まで一度もそんな事は言われてないです。
本当にこの学校に来て良かったと思います。」
 
彼のスピーチは僕の心に強く響いた。
心の底からのものだったからだろう。
でも同時にみんなこうも思っただろう。
「当たり前だろ。」って。
 
彼の国籍なんか関係ない。
彼が好きかどうかだけが問題だ。
自分でも本当にいい学校で学んだと思う。
ゲイのヤツも難病の子もいた。
自分の知る限り
集団でひとりに危害を加えるような卑怯者もいなかった。
 
自分はラッキーなだけかもしれない、
でもそのような雰囲気は諸先輩方や先生方が築いてきたものだ。
自分も受け継ぎ次へ繋ぐ資格がある。
自分の教育理念のベースもここにある。
 
社会はカオスだ。
外見、年齢、国籍、主義主張、目指すもの、バラバラでよい。
好きキライはあくまで個人に対してのものであり、
自分ではどうしようも変えようのないものを攻撃すべきではない。


その国と個人の話はまた別だ。
しかし、補助がほしければ適用される学校へ行くべきだ。
闘っていいのは国籍を理由に学校側から入学を拒否された場合だけだ。