のおとのノート

若者の”勇気ある一歩”を見まもる「のおと」主宰者のそこはかとない書き散らかしです。

橘家

2013年1月

【注意】
ツイッターに書き散らしたものをメモ代わりに張り付けているだけです。
スルーしてください。


満たされた退屈よりも不自由だが創造的な状況を選べ
 
 
いつも覚悟して悔いのないように生きる。
会いたい人には会いにいき、
謝りたい人や感謝したい人には早めにそれを伝える。
自分の使命を果たし、自分にも他人にも出来るだけ正直に。
それだけだなあ。
 
 
現実世界で相手にされないような奴の意見が
大きく響いてしまう仕組みがあるのがネット。
マイナスや汚い意見は自分を持たない人に強い影響を与えてしまう。
社会で通用しないようなレベルの人間から教育を受けることも同じようなものだ。
 
 
常識を疑い、固定観念を断ち切る。
 
 
「業界を変える」とか吹くが具体性ゼロのやつは相手にするな。
目の前のことを地道にコツコツやる人間のほうが尊い。
 
 
殴るなんて、二度と会わない奴から受けたストレスへの気晴らし以外意味ないと思うな。それも間違いだし。
 
 
恐怖で人を従わせるのは卑怯で無能な人間のやり方だ。
 
学校の部活に限らず、無駄に雰囲気がピリピリしてるようなところは中途半端なんだよな。
伸びない環境というか。それは思考停止してしまうからなんだろう。
 
 
暴力を使ったマインドコントロール、まさにその通りだよ。
だから人ひとり亡くなっても平気で「部活動をすぐ再開してほしい」なんて大人も子どもも言えるんだ。
マトモなら人の命が身近で失われたことにショックを受ける。組織に問題がないか考える。うすら寒い。
 
 
 
知らないということは恐怖を生む。だから人は学ばないと、体験しないといけないんだ。
 
 
今日の朝刊をざっと読む。裁判のレベルでなくても「涙の謝罪」なんてものには何の意味もないと思っているのだが、
法廷では多少加味されるのかなあ、と。自己保身する奴ほど涙のウソ謝罪し同じことを繰り返すと経験上感じているんだよな。
 
 
表現とは、自分の心を何らかの方法で外に出す事ではないだろうか。
そして、その表現により自分の心が変化したり整理されたり成長したりするものなのかも知れない。
 
 
やる内容や量は昔と変わらずとも、入り口のハードルを下げなきゃいけないんだよな。
 
 
守ってあげるだの、会いたいだの、そばにいるだの
美しい比喩もない陳腐なキレイ事を並べた歌詞が溢れる中で女々しさを前面に出した曲がヒットしたのは痛快だ。
 
 
分からないことをさも分かったように語るテクニックなんか身につけたくない。
難しいことを易しく語れる人になりたい。
 
 
無能あるある 「俺だっていろいろガンバってるんですよ」と具体性ゼロの頑張ってるアピールをする。
 
 
議員の婚約破棄の話。3ヶ月も隠してたらいつまでも同じ。
結局金むしり取るみたいな話になるからよけいに。僕が付き合いのある人たちは出自を隠してる人はいない。
水原希子とか堂々としてて気持ちいい。すぐ話してくれた時点で「この人いいな」と思うよ。結婚相談所ならそこんとこクリアなはず。
 
 
吉田豪氏による壇蜜インタビューが掲載ということでFLASH購入。
結局一番印象に残ったのは豪さんのジャージbyデサント
いや、ホントは死の匂いとか、自分と「壇蜜」というハリボテとの乖離を正確に捉えた上での妙なサービス精神とかさすがの記事だったんだけど。

「せんたく」

【R25】女子ウケはガラケー>スマホ説浮上

女が、もっと言いえば他人がどう思うかなんて気にして
自分の持ち物選ぶのは愚の骨頂。アホだ。
 
人の目を気にして行動を選択してるから
すぐに責任転嫁して自分で責任取れないんだよ。
いつも言い訳を用意して。
「だってみんながそう言うから」
「そういう雰囲気だったから」
もう一度。アホだ。
アホ丸出しだ。
 
自分にふさわしいか、
自分の好みに合うか
自分の金を出す価値があるか、
自分の中でしっかり考えてモノを買う。
そこに喜びと大切にする心が生まれるのではないか。
 
自分は10代の頃、つまり20年以上前に買ったワークブーツ
ベースボールジャケット(スタジャン)、ダッフルコートなんかを
今でも大事に使っています。
当時はちょっと値の張る買い物だったけど、
どうしても欲しかったから。
それは流行っていたからではなく、
自分が惚れ込んだからなんだよね。
 
もっとも、40代向けファッション雑誌なんか
「モテる」のみがキーワードになってるのもあるよね
すごくみっともないと思う。
背中で惹きつけるのが大人であって
正面から媚びるなんてガキレベルだと思うけどなぁ。
 
買い物でも、
どこの馬の骨ともわからない奴のレビュー見て
選択を左右されてばかりいると自分の見る目が育たない。
 
異性を見る目も一緒。
失敗を繰り返しながら自分の責任でしっかり考えて
見る目を養っていかないとね。
 
少なくとも携帯で左右されるような関係性なら

 

無くていいね。

2012年11月号

【学校通信用に書いた文章です】

 

最近、私が大好きだったドラマの再放送がBSではじまりました。
王様のレストラン」(1995)です。

この作品は脚本を担当した三谷幸喜の出世作。

伝説のシェフであったオーナーが死去し、従業員の質が下がって客足が遠のいてしまった
フランス料理店で、新しいオーナーになった青年と彼の願いで復帰した伝説のギャルソン
(給仕長)が店を立て直す姿をコメディータッチで描いた物語です。
その第1話で伝説のギャルソン・千石が理不尽な客に対し冷静にこう言い放つのです。

 

「私は先輩のギャルソンに、お客様は王様であると教えられました。

しかし、先輩は言いました。王様の中には首をはねられた奴も大勢いると」

 

 “お客様は神様”という言葉を履き違え、金さえ払えば全能の神のごとく思うがままに
振る舞っても良いだろうという態度の人が増えていると聞きます。
最近では「モンスター・カスタマー」と呼ばれているようです。

私も一般企業に務めている時期は、コールセンターでクレームの対応や
全体の集計・分析などを行なっていましたが、罵詈雑言は勿論のこと、
脅しに近い理不尽な要求など日常茶飯事のように見聞きしてきました。

 

 客と店員であろうが、他人とのコミュニケーションにおいて、
人として最低限のモラルやマナーは不可欠です。

自分の主張が正しいかどうかを常に判断する、間違っていれば素直に謝り、
自分のために労力を使ってもらえば感謝する。
この「当たり前」のことが大人でも“引っ込みがつかない”ことや“くだらないプライド”が
邪魔して意外と出来ていない事が多いのではないでしょうか。

 

 特別なことが出来る人よりも、
当たり前のことをさりげなく出来る人のほうがカッコイイと思います。

生徒たちには「カッコイイ大人」になって欲しいと願っています。

2012年10月

ある非常識な行為を報じたニュースの感想の後

 

 

 

優先順位勘違いして大事なものを置き去りにした時点でただのバカ」

「人としてバランスは保って欲しいもの」

 

というようなことを書きましたが、

これって趣味だけの話ではなく、仕事においても言えるなぁと思いました。

 

「どっち向いて仕事してるんだ」というような事って

客としてだったり、同業他社、もしくは自社の上司や部下に対してでも

見聞きした経験のある人は多いのではないでしょうか。

 

教育委員会や経営者の方ばかり見て人としての判断を失った教育現場。

組織の論理のみで動きひとりの人間としての判断を完全にOFFにする職場。

 

私は、10年以上前、ある大きなトラブルに巻き込まれました。

内容は相手の大きな犯罪行為でした。

明らかに先方に非のある内容でしたが、経営者は全面的にこちらを悪者にし

事を収めました。

自分の仕事内容の根幹に関わる部分を否定されるものでしたが、

まだ修行中に近い身であったので堪えました。

 

その時、組織に所属しているという感覚は捨てました。

自分の足で立ち、自分の言動は自分で完全に責任を持って仕事に向かう

ということを鮮明に意識するようになったのです。

 

数年後、私がいた組織は給料未払いのまま消滅するのですが、

未払いから半年間、自分の判断で私は仕事を続けました。

(3月までやってはじめて「学校」と言えるからね)

その時のエピソードは山ほどあるのですがまた別の機会に。

その時の経験がその後の自分の武器であり、生きる指針になっていることは

間違いありません。

 

何のために仕事をするのか。そもそも仕事ってなんだ。

自分は何によって喜びを得るのか。

そういったものがハッキリしただけでも人生儲けものだと思っています。

 

結局、私は組織に所属している感覚が上記の一件以来消え失せたので、

仕事をする上で気持ちの負担が少なくなりました。

そして、以前よりいい仕事が出来るようになり、組織に利益をもたらす

こともできました。

結果としてある程度自由な振る舞いが容認される立場になりました。

 

今の場所でもかなり自由にやらせてもらっています。

常に意識しているのは、全ての責任を自分が背負うということです。

組織に寄りかかって生きたり、立場や肩書きを守ろうという気はさらさら

ありません。少しくらい有ったほうがいいと思うのですが・・・。

 

働き手としては決して褒められたもんじゃないのは分かっています。

それは十分理解した上で、一番自分がストレスなく社会に貢献できる方法を

模索した結果なのです。

 

そんな自分ですから、ひとりの生徒の命が消えたり脅かされたりしているのに、

組織の論理で平然と詭弁を弄するエセ教育者に激しい怒りを感じるのです。

組織人である前にひとりの人間としてどうなのか。

人間としての感情をスポイルするような組織ならそれは世の中に不必要だ。

そう思うのです。

 

結局何が言いたいのかわからない自己弁解みたいな文章になってしまいました。

すんません。

 

9月号

【今月の学校通信より】
 
先日、生徒たちに
「人間の価値は、他人の見ていないところでどれだけ正しいことをしているかどうか
にある。」と話しました。
 
近頃表面化している学校での残酷かつ卑怯な事件の数々は、突然変異のモンスターが起こした偶然の不幸ではなく、取り巻く環境すべてに潜在していた諸問題が抑えきれなくなり溢れだした結果ではないでしょうか。
 
大人が効率や経済ばかりを優先して「バレなきゃ何をしてもいい」「儲かりゃ何をしてもいい」「嘘がバレても開き直りや逆ギレした者勝ち」というような態度で社会に向きあっていれば、日々そのような価値観を目にする子供が真似するのは当然です。
 
“全ての大人は全ての子供に対して責任が存在する”と私は考えます。
だからこそ「仕事だから」ではなく、ひとりの大人として生徒に正面から向き合う姿勢だけは忘れないようにしたいと思います。
 
・立場や所属を気にせず、ひとりの人間として
 「ありがとう」「ごめんなさい」が言える。
・嘘はつかない、約束は守る。
・相手に伝わるようにあいさつができる。
・弱い立場の者は守る。
 
これらは幼稚園や保育園で習う人としての基本的な事柄もしくはその発展形です。
しかし、大人でも、いや、むしろ様々な事情がある大人のほうがこれらを実行出来ないことが多いのではないでしょうか。
どんなに資産があろうが、名誉があろうが、この基本をないがしろにする人は愚か者です。
それはどんなに世の中が変化しようとこれが人としての基本だから。
 
私は全てに優先してこの「人としての基本」を伝えていきたいと思っています。

 

しごと

「今日は仕事しなかったなぁ」って日があります。
それはずっと生徒対応をしていた日です。
そしてとても充実感のある一日でもあります。

僕にとって仕事とは、PCに向かって様々な書類を作ったり、

外部の人とやり取りすることなんだろうと思います。

生徒に向き合うことに勿論責任は感じています。
でも、職業としての義務感は感じていません。
ひとりの大人として当たり前のように若者に対する
責任を果たしているだけ、しかも大きな喜びとともに…
こういうのを「使命」というのかなぁ、と。
ならばもっと沢山の若者に向き合わなければと感じます。

特に
「処世術」という名の嘘やゴマカシで浮世を上手く
渡っていける奴がデカイ顔をしてる世の中で、
「不器用だけどストレートに生きているが故に困難に
ぶち当たっているような若者」が輝く姿を見たいのです。
「こいつらが笑って生きていけないような世の中は嘘だ」
と思える若者のために自分を捧げたいと強く思います。

一生マイノリティーで縁の下の力持ちで結構。
彼らの輝く光でまた別の若者に道を示すことが出来るような、
優しい月のような存在が僕の目指す姿です。

2012年9月

先週末は女子生徒が芸大のAO入試を受けました。
日中は外に居たのですが気が気ではありませんでした。

金曜日、最後の面接練習をしました。
昨年の12月に転向してきた穏やかでおとなしい子です。
当初は自分を客観的に見つめることがまったく出来ず、
長所を考えようとしたら
過去の出来事が原因で涙が止まらなくなるなど
心が自己肯定を激しく
拒否してしまうような子でした。

それから8ヶ月。たくさん話してきました。お茶飲みながら。

面接練習では嫌でも自分のことを話さなければなりません。
まだ自分を認めることは苦手だし、他人から聞いた「自分の長所」

納得はできないけど、その現状を明確に言葉にすることが出来るました。

そして、自分の想いをアウトプットすることが苦手な現状を変えるため、
「芸術」という表現ツールを使っていきたい、だから自分が学ぶ学問は
芸術以外に考えられないんだ、と噛み締めるように話しました。
その姿に僕は感慨を覚えました。
うん、なんかジーンとしてしまったんです。

「芸術とは人間の、或いは己の根源を見つめる学問」
だとするならば
彼女はそのスタートラインに立っていることは間違いありません。

「表現」とは、自分の想いや内面を何らかのツールを使って
アウトプットする行為。
ある人は文章を書いて、またある人は楽器演奏で、写真で・・・。
僕の特異な表現はしゃべり、生徒の得意な表現は絵。
アウトプットしたものをさらに自分が客観的に眺めて
自分というものを確認する。
自分を把握すれば生きることが少し楽になるのではないかと思います。

入試は2日間のワークショップと最後に面接。
「実力以上のものは出せないんだから開き直ってやっておいで」
と送り出しました。
正直そんな簡単に結果が出るわけないのは本人も承知の上です。
どうか本人が良かれ悪しかれ納得のいく2日間になるようにと
ただ祈るばかりでした。

週が開けて今日登校したので話を聞いたら大失態はなかったとのこと(笑)
しっかり自分を見つめることが出来る表現者になってほしいなぁ。